
生産ノウハウの引き継ぎが、事業継承の障壁に
2018年2月、首相官邸で行われた第4回「日本ベンチャー大賞」表彰式。「日本ベンチャー大賞(内閣総理大臣賞)」を受賞したメルカリをはじめ、社会的なインパクトを与えたベンチャー各社が表彰された。そのなかで、「農業ベンチャー賞(農林水産大臣賞)」を受賞したのがルートレック・ネットワークス。“経験と勘”頼みだった水と肥料の供給を、データとA I で自動化するシステム『ゼロアグリ』を開発した企業だ。
2005年に同社を立ち上げたのが佐々木伸一社長(60)。大学で電気工学を学び、米国半導体企業やベンチャー支援企業等を渡り歩いた。機器と機器をつなぐ現在のI o T 技術の可能性にいち早く注目し、エネルギー、車両、ヘルスケアなどの企業を支援するサービスを展開。しかし、2008年のリーマン・ショックで仕事が激減する。新たな方向性を模索するなか、2010年に総務省から栽培環境データを“見える化” する事業を受託したのが、農業との出合いだった。
その事業で岡山県と栃木県に赴いたとき、佐々木社長は日本の農業の課題に直面する。「農家の平均年齢はすでに65歳を超えていて、後継者問題は待ったなし。でも、生産ノウハウは“経験と勘”頼りで、新規就農者に引き継げておらず、農家の事業継承の障壁になっていました」。
佐々木社長は、自社技術が果たせる可能性を確信して、事業領域を農業に集中する。そこで気付いたのは、栽培環境の“見える化” だけでは不十分だということ。「“見える化” したデータを活用するためには、データを解析し、実際の栽培に使ってみることが必要です。そこに、私たちの技術を活かせる場があったのです」。


ビッグデータは絞り込みが重要
データの“見える化” だけでなく、そのデータを使った栽培環境の自動制御化に踏み込む決断をした佐々木社長。市場として定めたのは、水耕栽培の植物工場ではなく、土で作物を育てるビニールハウス。「調べてみると、日本の施設栽培の98%は簡易的なパイプハウス。当時、パイプハウスで活用できる環境制御システムはほとんどなく、ここを変えれば日本の農業が変わると思いました」。
ポイントは、センサーで“見える化” する対象を、日射量と土中の状態に絞り込んだこと。「センサーで多くの情報を集めることはできますが、農家が導入しやすいようにできるだけシンプルな仕組みにしたかった」と佐々木社長。日射量と土中の水分量をセンサーで計測し、作物に必要な水の量を割り出す。後は、点滴チューブで水に肥料を溶かした培養液を作物の根元に自動供給するだけ。農家にとって実用的な機能だけに絞り込んだ。
しかし、実際の製品開発は一筋縄ではいかなかった。例えば、土中の水分量を測定できるセンサーが見つからず、ネットや人脈を頼りに、米国のゴルフ場で使われている散水用センサーにたどり着いた。点滴灌漑技術は、乾燥地が広がるイスラエルの企業と協力することで、製品化へのめどを付けた。

さらに苦労したのが、データから潅水量を導くAIのアルゴリズムの開発だった。ルートレック・ネットワークスがある神奈川県川崎市の工業振興課に“仲人” になってもらうことで、明治大学農学部と産学連携し、研究室に足しげく通った。そこで直面したのが、ITと農業の文化の違いだった。佐々木社長は「『
最初は実力を分かってもらえなかった
『ゼロアグリ』の実証実験の結果は、予想以上だった。A I が導き出した水と肥料供給(潅水施肥)により、新規就農者でも熟練農家と同程度の生産高を上げることに成功。培養液をピンポイントで作物の根元に供給することで、水と肥料の使用量が半分になり、コスト削減を実現。さらに革新的だったのは、農家の労働時間を大幅に短縮できたこと。潅水と施肥を自動化することで、こうした作業にかかる労働時間が9割も減少したのだ。
現在、施設園芸の農家の多くは、土日を返上して働いている。家族との時間も満足に取れない厳しい労働環境は、新規就農の妨げになる。『ゼロアグリ』ならば、この負担を軽減できる。佐々木社長が『ゼロアグリ』のキャッチコピーを、「農業に休日を! Grow with IoT」と打ち出した由縁である。
収量の安定化や、コストと労働時間の削減を実現する効果は、「新規就農者でも農業をゼロから始められるように」との思いを込めて『ゼロアグリ』と名付けた狙い通りだった。しかし、農家への導入はなかなか進まなかった。なぜなら、農作業の概念を根底からひっくり返してしまったからだ。
『ゼロアグリ』では、水に溶かした肥料をA I が自動で調整・供給するため、本来であれば元肥も必要ない。だが、『ゼロアグリ』を“信用” してもらうのは至難の業だったという。「最初の年は畑にまく肥料を半分に、その次の年はさらに半分にと、徐々に変えていくことでようやく納得してもらいました」と佐々木社長は振り返る。
現場の農家からは、作物の状態について電話での問い合わせも来た。本来ならば、農家の手元の端末で潅水と施肥の量は確認できる。それでも、電話で直接会話し、社員が確認・設定しないと、農家にとっては実感が湧かなかったのだ。
「『ゼロアグリ』を導入する農家は増えていますが、本格的な普及はこれからです」と同社マーケティング・広報担当の中島尚子さん。ホームページやSNSを活用し情報を発信しているが、それだけでは理解が浸透しない。今までで反応が良かったのは、『ゼロアグリ』を実際に使っている農家を見てもらい、農家同士で疑問をぶつけ合ってもらう勉強会だったという。
今後の見通しについて佐々木社長は、「地域を引っ張るリーダー格の農家に『ゼロアグリ』を体感してもらいたい。J A の部会や営農指導員にも活用してもらって、生産技術の向上にデータが役立つことを実感してほしい」と語る。
導入に向けたもう一つの障壁は、初期投資の金額だ。基本的には2年程度で回収できる設定だが、農家にとって心理的なハードルは高い。この壁に直面していたときに、佐々木社長が販売強化に向け相談したのが農林中央金庫だった。農林中央金庫がルートレック・ネットワークスに出資し、JA三井リースを紹介。JA 三井リースと共同開発した定額利用プランが2018年11月にスタートした。

トマト農家の
『ゼロアグリ』導入
水やりからの解放
『ゼロアグリ』が二代目農家の
トマト生産を変革JAたかさき トマト生産部会直販部長
樋口 雄太 さん(33)
父の代から始めたトマト農家の二代目です。働いているのは、両親、妻、パート職員、私の5人。大型ハウス2棟計40a で大玉トマトとミニトマトを育て、約1haの米麦栽培も行っています。
ハウス内の環境制御によって、収量アップや品質の安定化を図れると考え、数年前に温度、湿度、CO2濃度、日射量を測定する環境モニタリングシステムを導入しました。あわせてタイマー式の点滴潅水装置を設置したものの、トマトに元気がありませんでした。ハウス内の環境が改善されたことで光合成が早まり、土中の水分量がトマトの成長に追い付かないアンバランスな現象が起こっていたのです。
タイマー式の点滴潅水装置での水やりは、その日の日射量などを見て水量を調節する必要があります。でも実際は、他の作業に没頭して水を止め忘れたり、外出中もハウスのことが気掛かりだったりして仕方がない。8月から始まる苗の定植を前に、ネットで「自動潅水」と検索し調べていた時、土中の水分量を自動で制御できるルートレック・ネットワークスの『ゼロアグリ』を探し当てました。「これだ」と思って資料を取り寄せ、導入を即決しました。
『ゼロアグリ』は、ハウス内の環境の情報を土壌センサーと日射センサーで収集します。常時接続されているクラウドでデータ分析を行い、その日の環境に合った水と肥料の培養液を自動供給するのです。土壌内の水分量を一定に保つことで、不均一だったトマトの幹や枝が太くなり、トマトの実が均等な丸みを帯びるなど、品質が安定してきました。収量も昨年に比べて大幅に増加。品質・収量の両面で期待以上の効果があったと考えています。
これまで水管理に要していた作業時間は、自動での潅水・施肥により9割程度削減できました。また、潅水・施肥に関する情報が常時クラウドに保存されているので、いつでもどこでもスマートフォンで土壌の状況を確認でき、効率面でのメリットが本当に大きい。『ゼロアグリ』のおかげで、わが家にも少し時間的な余裕が生まれています。



AIとIoTが切り開く農業の未来
現在、『ゼロアグリ』は日本国内30県132拠点(2018年12月時点)に普及。海外ではベトナム・タイ・中国で導入されている。「実はアジアでも、日本と同じようにパイプハウスでの栽培が施設園芸に占める割合は高いのです」と佐々木社長。ベトナムでは竹を骨組みにしたハウスのなかで、『ゼロアグリ』が大都市に出荷される野菜の生産管理に活躍している。
『ゼロアグリ』は、世界の農業が抱える課題の解決にも貢献できるという。「日本では人口が減少していますが、世界的には増加し続けています。一方、良質な土壌や水資源は逼ひっぱく迫しているのです。『ゼロアグリ』ならば、水と肥料の使用量を削減することが可能です」。国連が2030年の達成を目指すSDGs(持続可能な開発目標)でも、安全な水の供給が重要な目標として掲げられている。
外資系のI T 企業出身というバックグラウンドながら、農業のイノベーションに懸ける理由は何か。その根底には、開発を進めるなかで訪れた農家と地域への思いがある。「農村が直面する課題は高齢化と過疎化です。これを食い止めるには、農業に人を呼び込む必要があります。農業を休日のある産業にして、儲かるようにする。そして、子どもが親の背中を見て、農家を継げる環境にしたい」と佐々木社長。「日本の農業人口は減少していますが、効率化により成長できる可能性を秘めています。それはアジア全体でも同じこと。今の常識を変え、持続可能な社会を実現するために、私たちはAIとIoTによって農業の未来に貢献したいと考えています」。

JA現場の声
JAの営農指導員として新しい技術の潮流を伝える
JA たかさきで、営農指導員としてトマト生産を担当しています。JA たかさきから出荷される「うれっ娘トマト」は、酸味と甘みのバランスが良いと評判で、首都圏や新潟にも販売されています。
私の担当エリアでは、樋口さんのようにAI を使った潅水施肥システムを導入している農家は多くありません。しかし、先進地では農作業の省力化に向けた設備の導入が着実に始まっています。高崎に新しい技術の潮流を伝えることが重要な役割だと考え、樋口さんのような農家に声をかけて勉強会を開催してきました。
私自身の祖父もトマト農家です。営農指導に訪れると、農家の方が技術的には経験豊富なことが多い。でも、農家同士はライバルだから、ノウハウの共有が進まない。産地全体のことを考えて、橋渡し役になることが自分の役割だと感じています。
これからのJA の営農指導では、産地内での情報の共有化を進め、『ゼロアグリ』のような先進的な技術を農家に伝えることも重要です。トマト産地としての底上げが図れるよう、先進地での事例を研究しながら、勉強会や見学会を開催するなど、情報を発信していきたいと考えています。

農林中央金庫による
AgTech企業への出資の意義
普及促進の課題だった初期投資の問題に
JAグループのネットワークで対応
ルートレック・ネットワークスとの出会いは、あるベンチャー企業とのマッチングイベントの会場でした。同社の担当者から、『ゼロアグリ』の販売拡大に向けて一緒に取り組みたいと相談されたのです。その場で複数のAgTech(アグテック)企業と面談したのですが、同社は特に面談の狙いが明確だと感じました。
その時の縁から生まれたのが、ルートレック・ネットワークスへの出資です。食農法人営業本部の使命の一つは、農業や食品関連企業の成長を支援することで、ベンチャー企業に対して出資を行うこともあります。2018年4月、農林中央金庫は「F&A(Food & Agri)成長産業化出資枠」により同社へ出資。農業技術の発展に寄与するアグテック企業への出資は3件目となりました。出資にあたっては、企業分析による評価はもちろん、その事業内容や技術が農家の所得向上に寄与する可能性も重視しました。
こうした取り組みのなかで、生まれたのが農家に向けたリース制度です。『ゼロアグリ』は製品はいいのに、なかなか農家に利用されない。その理由を探るうちに初期投資のハードルの高さに突き当たりました。人事交流も行うJA三井リースと一緒に検討を進めるなかで、リースを活用した定額利用プランを実現することができました。 私自身、以前は海外の投資ファンドとの共同投資を担当していました。しかし、大きな資金を動かしリターンは見込めても、本当に出資先や社会に役立っている実感を得ることは難しい。その点、ルートレック・ネットワークスをはじめとする企業への出資では、出資相手や日本の農業の成長産業化に役立つことを実感しています。 スマート農業の普及は、農業の規模拡大・生産性向上・付加価値創出等に欠かせない取り組みです。佐々木社長からは、農業という分野にこだわり、諦めない粘り強さを日ごろから強く感じています。農林中央金庫として、今後もルートレック・ネットワークスの経営体制面へのアドバイスを行うなど、可能な限りの支援を続けていきます。

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