現場の声 JAいわて花巻(岩手県)

復興支援

人が交わる場所を創りたい 「母ちゃんハウスだぁすこ沿岸店」 ※左から 「母ちゃんハウスだぁすこ沿岸店」産直会員 藤原市之助(ふじわらいちのすけ)さん 佐々木良子(ささきりょうこ)さん 阿部美智子(あべみちこ)さん

平成28年1月、壊滅的な被害を受けた沿岸部・大槌町に「母ちゃんハウスだぁすこ沿岸店」がオープンしました。野菜作りを通じて地域を復興しよう――JAいわて花巻と大槌町の農業者が一体となった震災復興から同店開設までの取組みについて話を伺いました。

農産物の“作る”と“売る”、双方に打撃を与えた津波

「専業農家であるわが家では、水田が被災しましたが、おかげさまで家と畑は無事でした。ところが、JAや地元のスーパーの産直場が津波で全壊し、野菜を売る場所がありません。そこで、JAの予冷庫だった場所をお借りして農家5軒で直売を始めると同時に、“買う場所”を失った地元のみなさんのために、仮設住宅等に移動販売にも伺いました。」(JAいわて花巻・組合員/「だぁすこ沿岸店」産直会員・佐々木良子(ささき りょうこさん)

「もともと、私は兼業農家でしたが、震災で勤め先の経営が悪化して退職。そんな時、佐々木さんから声を掛けてもらって産直に参加し、むしろ震災後に本格的に農業に専念することになりました。」(JAいわて花巻・組合員/「だぁすこ沿岸店」産直会員・阿部美智子(あべ みちこさん)

「私も兼業農家でしたが、勤め先を退職して原木シイタケの栽培に力を入れよう、と準備していた矢先の震災でした。岩手県は、国内有数の良質な原木シイタケの産地ですが、原発事故後は風評被害等で出荷が停止(現在は出荷可能)。結局、シイタケ栽培はやめてしまいました。とはいえ、私で9代目になる農家として、先祖代々からの土地をないがしろにはできません。そんな時、直売所の話を聞いて参加を決めました。でも、野菜作りに関してはまったくの素人で、試行錯誤のスタートでした。」(JAいわて花巻・組合員/「だぁすこ沿岸店」産直会員・藤原市之助(ふじわら いちのすけさん)

「犠牲者もいらっしゃいますし、正直、震災直後は地域全体が意気消沈していました。しかし、佐々木さんをはじめ地元農家のみなさんの頑張りにJAいわて花巻も応えようと、組合長が当時視察に訪れていた復興大臣に『農業を再開したい』と“直訴”。大槌町と連携して、沿岸営農拠点センターとして『母ちゃんハウスだぁすこ沿岸店』(以下、だぁすこ沿岸店)を新設する構想がまとまりました。」(JAいわて花巻・遠野地域営農センター・東部地区営農センター・菊池清重(きくち せいじゅう)センター長)

地元の漁業者も産直会員として参加。陳列棚や食堂のテーブル等は森林組合が作製するなど、地元の農林水産業の連帯が随所に現れた店内。

通年の品揃え”のために未経験の品種の野菜作りに取り組む

「だぁすこ沿岸店は、それまであった直売所とは比べ物にならない大型の産直市場です。課題は、通年で野菜を販売できるよう、地元のみなさんに多品種の野菜を栽培してもらうことでした。というのも、大槌町は10アール(約0.1ha)単位の狭い農地が多く、震災前は米が主体。園芸栽培は、キュウリ、ピーマン、トマトなど夏野菜作りが中心だったからです。

震災から約1年後に大槌町に赴任した私は、キャベツやタマネギなど、大槌町では栽培していなかった作物も含む年間の野菜栽培計画表を策定し、園芸相談会を開催しました。最初のうちは2~3人しか集まりませんでしたが、徐々に参加者が増え、私を含めた営農指導員2人が、毎日、各農家に技術指導に伺いました。」(菊池センター長)

「それまでの産直販売では、“作ったものだけを売る”というスタンスでした。菊池センター長らにお尻を叩かれて、新しい野菜の栽培技術を学び始め、大変でしたが、楽しさもありました。また、農業者同士や販売担当の方等とのコミュニケーションも活発になりました。」(佐々木さん)

「家族経営の独立した農家同士が、栽培技術を話し合うような機会は限られています。震災後は、相談会以外にも、共同で種まき作業をするなど、みんなが集まる機会が増えて、情報交換できたことは野菜作りにも役立ちました。」(阿部さん)

「私は30年以上、営農指導に携わり、定年退職後に大槌町の件で復帰の依頼があり、平成27年7月に赴任しました。JAいわて花巻は、管内が広域で、私は大槌町の気候風土や農業にも不案内でしたが、大槌町のみなさんは農業者としてはプロですし、お教えする技術を素直に吸収し、未経験の野菜作りに一生懸命に取り組んでくださる。みなさん、着実に進歩されていますし、営農相談者として、本当にやり甲斐を感じています。」(JAいわて花巻・営農相談員・大村保(おおむら たもつ)さん)

15名の“母ちゃん”たちが運営する食堂では、地元の食材を使ったメニューが好評。

地域内外の消費者とのつながりを深め、人が集う拠点に

「店舗の運営には、農業者だけでなく、食堂での接客や調理担当などの人材確保や教育も重要です。多くの被災地と同様に、沿岸部では、若い働き手が不足しています。その一方で、だぁすこ沿岸店を働く場所として期待する地元の声も多くあります。」(菊池センター長)

「私は、野菜を卸すだけでなく、レジなど店舗の接客も担当しています。慣れるまでは、神経を使って寝られない夜もありました。だぁすこ沿岸店は始まったばかりのよちよち歩きです。他県JAと協働して、店舗にはいつでも野菜が並んでいますが、一年を通じて地元の野菜を販売できるようにすることが今の課題です。」(阿部さん)

「専業農家を引退した大先輩の農業者は、私たちよりも野菜の栽培技術も高く、ぜひ産直会員として参加していただきたいです。また、既に地元の学校給食に野菜を提供していますが、地産地消の取組みも広げていきたいですね。」(佐々木さん)

「水田だった場所に自分でハウスを作り、畑の土作りや温度管理など、何もかもが試行錯誤でしたが、ピーマン、小松菜、ニラ…と徐々に野菜の品種を増やしてきました。だぁすこ沿岸店は、農作物を販売する場であると同時に、地域の方が食べたり休んだり、人が集まる場でもある。従来の産直場とはそこが違います。」(藤原さん)

「消費者とのつながりという意味では、佐々木さんたちが、震災直後の苦しい時から移動販売をしてきたことが、現在、地元のみなさんの来店に結び付いていると同時に、地元企業からの卸売ニーズも多くあります。

また、店の近くが新しいインターチェンジの降車口となる予定で、今後は沿岸部以外のみなさんが大槌町を訪れる機会も増えると思います。豊富な地元食材を味わえる魅力ある観光名所の一つとして、だぁすこ沿岸店が地域活性化に貢献できたらと考えています。まずは、農業者とともに、目の前の課題を一つずつクリアするための努力を続けていきます。」(菊池センター長)

JAいわて花巻の営農拠点センターには、地域外の小学生もエコツーリズムで訪れる。
震災直後の「白米一升運動」では、同管内全域から46トンもの米が集まった。

(取材日:平成28年5月)

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