沖縄からハーブを全国へ 三位一体の挑戦

農家と企業の出会いが生んだ品質の追求

カレー屋がなんで畑に来るんだ?

「『カレー屋がなんで畑に来るんだ?』。訪問先の農家がそう困惑したと、当時の担当者から聞きました」30年前の出来事を語るのは、エスビー食品のハーブ事業部でユニットマネージャーを務める伊藤弘敬さん(53)。ハーブという名前さえ日本でほとんど知られていなかった1980年代。料理向けの生ハーブは、わずかに百貨店や専門店で取り扱われているのみでした。その時から、欧米で普及している生ハーブを日本の食卓に届けたいと、食の多様化を見通して動き出したのがエスビー食品でした。

事業立ち上げに不可欠なのが、安定的な生産地の確保です。「中心作物のバジルは、温暖な気候でなければ生育しません。通年出荷の体制を整えるため、沖縄でのハーブづくりが不可欠でした」と伊藤さんは語ります。

新鮮なハーブを沖縄から消費地に届けるためには、空輸が必須条件。沖縄経済連( 当時)の紹介で、那覇空港のある地域を管内とするJA小禄(現JAおきなわ小禄支店)に、白羽の矢が立ったのです。

エスビー食品株式会社 ハーブ事業部 ユニットマネージャー 伊藤 弘敬さん

始まりはナス畑の一画から

JAを訪問したエスビー食品担当者を待っていたのは、ハーブに対する「こんな葉っぱが売れるのか」との困惑の声でした。

さらに、栽培にあたっての大きな問題点は、ハーブ栽培のノウハウが沖縄に存在しないことでした。普通の作物には用意されている県の栽培指針も、存在していなかったのです。

栽培技術が確立されていない状況で、農家が一気に作物を転換するのは、失敗した場合の影響が大きく難しいと判断。リスクを分散させるため、複数の農家が少しずつ栽培面積を広げていく方法を取ることにし、それには調整役としてJAの協力が必要でした。

エスビー側の熱意を受け、JAの職員からも、チャレンジしてみようと声が上がりました。その背景には、小禄地区が抱えていた農業の課題がありました。小禄ではナスの生産が盛んでしたが、大きく重たいため高齢化する生産者には負担でした。さらに、農地が相続で分割されて小規模化し、若い人たちの農業離れも進行。そうした中でエスビー食品から持ち込まれたハーブは、小さくて軽く付加価値が高いため、魅力的な作物に映ったのです。

JA小禄では、「バジルの生産をしてみないか」と農家を回って声をかけました。半信半疑の農家が多い中、初年度にバジルの種を植えた農家は2軒。ナスを作っていたハウスの一角で、試験栽培が始まりました。

技術確立のため、農家だけでなくJAの営農指導員も試験栽培を実施。沖縄の気候は亜熱帯に近く本土とは異なるため、畝間・株間の調整、防虫対策などの試行錯誤を続けました。そして2年後の1989年、JAとエスビー食品で栽培契約を締結。沖縄での本格的なハーブの生産が始まりました。

クリスマス直前、懐中電灯とハサミを手に畑へ

「ハーブが足りない時には、自分でハサミを持って農家の畑に乗り込みました」と栽培初期の出来事を振り返るのは、JAおきなわ小禄支店の照屋強課長(48)。ハーブの出荷量が急速に伸びる一方、農家との意識のギャップがあらわになった時期でもありました。エスビー食品から求められる納期と品質に応えるため、栽培農家の意識変革の必要性に直面していたのです。

エスビー食品が求める鮮度に応えるため、JAでは気温の低い朝のうちにハーブを収穫し、9時までに届けるルールを設定。しかし、契約栽培を始める前、農家は自分で自由に収穫時間や量を決めていたため、対応するのが難しい人たちもいたといいます。

「何時までに、これだけ持ってきてくださいと農家に伝えても、『そんな面倒くさいことはできないよ』と言われることがありました」と照屋課長。そんな時は、自ら畑に赴き収穫作業を行うことで、農家の協力を促したといいます。

JAおきなわ 小禄支店 経済課 課長 照屋 強さん

JAではエスビー側との年間契約に従い、個別の農家に計画的に出荷量の割り当てを行います。それでも繁忙期には、対応が難しくなることも。イタリア料理ブームで出荷量が増えた2010年、クリスマス前のバジル需要期のことです。

「出荷場のバジルが足りなくなってしまいました。でも、出荷予定数のバジルは集めなければならない。夜の9時に、電話で農家に収穫をお願いしました。我々JAの職員もハサミと懐中電灯を持って駆けつけ、真っ暗なハウスで一緒に収穫を行いました」。必要なハーブを翌日の飛行機に載せることができたとき、照屋課長は胸をなでおろしたといいます。

より品質の高いハーブを生産するため、建設されたのがハーブセンターでした。それまでは屋根だけの出荷場で選別を行っていましたが、2007年に完成したセンターでは、品質管理のため冷房を完備。入室時には作業衣を着用し消毒を行うなど、食品工場と同等の衛生管理で安全を確保しています。

エスビー食品から求められる納期と品質に応える中、右肩上がりにハーブの出荷量も増え、2014年には過去最高を記録。しかし翌年、沖縄のハーブ生産は最大のピンチを迎えます。

JAおきなわエスビーハーブセンター。出荷したハーブはトラックで空港まで運ばれる。
ハーブセンターでは衛生管理の下、作業が行われる。

一晩でハウス中のバジルが黄色に

「前日まで順調に生育していたバジルの葉が変色し、ハウス中が一面黄色になっていました」

JAおきなわ南部地区営農振興センターの上原広生さん(31)が駆けつけたハウスには、これまで見たことのない光景が広がっていました。2015年、クリスマス向けの収穫を終えて、生産者も一息ついた時のことです。一夜で、ハウス中のバジルが壊滅的な被害を受けていました。

前年に本州を席巻した「べと病」の沖縄上陸でした。べと病はカビの寄生によって生じる病害の一種。感染すると、胞子で一気に広がり大きな被害をもたらします。

東京からエスビー食品の担当者も駆けつけ、JAの職員と一緒に対応にあたりました。胞子の飛散を防ぐため、渋る農家を説得して、感染した株の処分を推進。農家側でもベと病の原因となる湿気を防ぐため、夜中に起きてハウスを開けて風通しを良くしたり、扇風機を持ち込むなど、死に物狂いの対策を続けました。全滅の可能性もあった中、この時は農家の努力によって約3割の出荷量を確保することができました。

JAおきなわ 南部地区営農振興センター 野菜果実指導課 上原 広生さん

べと病に対応するには、農薬の調達が重要です。しかし、マイナーな作物であるバジルに対し、当時認可されていた農薬はありませんでした。対策のためエスビー食品がデータを用意し、JAが農業試験場とかけ合う中で、複数の農薬の認可を得ることに成功。べと病と戦う体制が、徐々に構築されていきました。

エスビー食品は、この1年間、大幅に売り上げがダウンしたものの、翌年から徐々に生産量が回復。

「エスビー食品は自分達の利益よりも、農家を第一に考えて対応してくれた」とJAおきなわの照屋課長は振り返ります。

エスビー食品がネットワークを活用して全国の情報を共有、JAおきなわが勉強会を開くなど、ハーブ産地の復活に向けて連携した取り組みを続けてきました。

ハウスの中で育成されるハーブ

貼りだされたハーブ作りの通知表

「貼りだされたあの紙を見ると、どきりとするんです」と、JAおきなわハーブ生産部会長の大城司さん(56)。

ハーブセンターの生産者向け入口には、1枚の紙が貼られています。そこに記されているのは、ハーブ生産者への通知表。葉斑や虫の混入など、納品されたハーブにどのような問題があったのか、生産者ごとに作業スタッフからのコメントが記載されています。

「この紙を見たら必ずサインしないといけないんです。他の農家にも見られるので恥ずかしいです」と大城さん。ハーブセンターでは選別時、生産者ごとに作業ラインを割り振り、出荷するパックにも各生産者の番号を付けています。最終的に消費者に届く商品から、生産者までを遡ることができるトレーサビリティのシステムが完成しているのです。

さらに、産地全体として品質や生産効率の向上を図るため、大城会長は生産者の意識改革に力を注いでいます。

「生産者同士はライバルですが、品質を良くして一緒に産地を作る仲間でもあります。ハーブ生産部会では、年4回の勉強会を開催しています。今後は、栽培が上手い農家と課題のある農家の畑の両方を、皆で一緒に回る勉強会を企画しています」

貼り出された作業スタッフのコメント
JAおきなわ ハーブ生産部会長 大城 司さん

理想的な関係の維持には、適度な緊張感が必要

生産者を惹き付けるハーブ作りの魅力の一つは、契約栽培による安定収入です。市場に出荷すれば価格の変動は避けられないのに対して、エスビー食品に契約出荷すれば、安定した収入の見通しを得られるからです。将来の予測がつけば、ハウス建設などの投資も含めた、持続的な経営の実現が可能になります。

ハーブ作りに取り組む契約農家は増え続け、30年前に2軒から始まった栽培も、今では約30軒に。後継者にバトンタッチした農家も複数誕生しています。

ゼロからスタートしたハーブの生産は順調に拡大してきましたが、一方でエスビー食品からすると特定地域への依存度を高めることにもつながり、調達の分散という点ではリスクにもなります。特に台風の上陸が多い沖縄。10月に被害を受ければ、最需要期の12月に出荷を逃す恐れがあります。

「風が強い時、農家ではハウスの骨組みを残すため、中のハーブは諦めて、自らビニールにハサミを入れて剥ぎ取ることもあります。安定的な生産を続けるためには、費用はかかりますが、JAとも連携しながら、耐候性ハウスと呼ばれる台風に強いハウスの導入を進めて欲しいと思います。台風への対策は、沖縄のハーブ作りにとって大きな課題です」とエスビー食品の伊藤さんは語ります。

伊藤さんはエスビー食品とJAおきなわ・生産者が良い関係を続けるためには、適度な緊張関係が不可欠と言います。

「JAおきなわと生産者、エスビー食品の間には、ゼロからハーブ産地を作り上げてきたという深い絆があります。ただ、契約栽培はビジネス。生産者はエスビー食品よりもっと良い販売先を探そうとするかもしれない、エスビー食品は別の地域から調達するかもしれない、そんな緊張関係を常に意識しておく必要があると思っています。相手にとってより魅力的であり続けるために、お互いが努力をしていく。お酒の席ではJAや農家の方たちと『夫婦と一緒だね』と話をしています。」

エスビー食品は今後もJAおきなわとの取り組みを、より強化していきたいと考えています。

「最終的にハーブを買ってくれるのはお客様。作り手はそのニーズに合わせていく必要があります。JAおきなわの凄いところは、弊社が伝える消費者の声を、しっかりと生産者まで届けてくれることです」

最高のハーブを消費者に届けるため、適度な緊張感を持ちながらの二人三脚がこれからも続きます。

ハーブは収穫後、新鮮な状態で消費地に出荷される。
沖縄県農業協同組合(JAおきなわ)
住所:沖縄県那覇市壺川二丁目9番地1
電話:098-831-5555
URL:http://www.ja-okinawa.or.jp/
組合員数:141,500人
職員数:3,027人
2018年3月31日現在

新規就農者としてハーブ作りに挑戦 赤嶺 和政さん(33)

念願のハウスを持ち、ハーブの契約農家となって4年目を迎えました。10代のときにマンゴーを収穫するアルバイトを経験し、農業に興味を持ったのがきっかけです。

ハーブの栽培を選んだのは、地元の小禄地区で生産が盛んだったから。また、契約農家になれば安定した収入が確保できることに魅力を感じたのも理由です。JAの職員に紹介されたハーブの生産者の元で2年間働き、その後はJAおきなわの研修施設で2年間、本格的にハーブづくりを学びました。研修期間中に台風に遭遇してハウスが倒壊。倒れたバジルを一本ずつ起こし、土をかぶせて植え直したのも思い出深い経験です。

2014年8月に、沖縄県の新規就農支援事業と青年就農給付金を受け、40アールの農地を確保してハウスを建設。JAバンクの新規就農応援事業も活用しながら、農業経営をスタートしました。初めてハーブが売れてお金が入ってきた時に、生産拡大に向けて投資する夢が生まれたのを覚えています。

比較的順調に生産を続けてきましたが、2015年のべと病の発生は、大きな試練でした。出荷量を約束した中で、一気に病気が広がり、ほとんど出荷できない状況に。約束を守れない悔しさ、申し訳なさでいっぱいでした。

ハーブの契約農家を営む赤嶺 和政さん

その時に、JAやエスビー食品、ハーブ作りの先輩には、色々と対策を教えてもらいました。一時はハーブ作りをやめようかと思いましたが、周囲の助けを得る中で、もう一度チャレンジしたい気持ちが生まれてきました。まだまだハーブ作りの技術で勉強することも多いですが、産地の一員として一緒に成長していきたいと思います。

JAの上原さんからは、一気に生産を拡大するのではなく、栽培技術を向上させながら、一歩一歩進めるようにアドバイスされています。こっそり畑を見に来ることもあって、自分のことを気にかけてくれる真面目な人柄を信頼しています。

ハーブ農家の赤嶺さん(左)とJAおきなわの上原さん(右)

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