農林水産業では高齢化と担い手不足が深刻化し、離農の増加が農地荒廃や地域固有の生産ノウハウの消失を招いている。経営の安定と成長が不可欠だが、自然相手の作業のため経営管理が後回しになりがち。農林中央金庫を含むJAバンクは2021年度から、全国の“担い手”農業者を対象に「担い手コンサルティング」の提供を開始。総合事業としてのJAグループの強みを生かし、課題の見える化やソリューションを提案する。
今回取材したのは、栃木県大田原市で肉用牛肥育経営にあたる株式会社イソシンファームだ。数年後に迫る創業者会長の引退を見据え、生産ノウハウ承継と引退後の利益水準維持を目指す。
同社は創業者で現取締役会長の磯進氏が、1970年の独立時に子牛50頭規模で起業した。2010年代には近隣農場2カ所を取得するなどして、飼養頭数を1000頭規模にまで拡大してきた。
並行して、自社や地域の圃場(ほじょう)で循環型農業にも取り組む。牛のふんを用いた堆肥を活用し、飼料用米や飼料用稲「WCS」などの生産に用いる一方、収穫後に集めた稲わらや飼料用稲「WCS」を飼料として牛に給与する。
長年の感覚と経験がものをいう農業経営。一頭数百万円にものぼる“価値”を有する生き物相手の現場では、約2年超にわたる肥育期間において、僅かな変化の兆しも見逃せない。80代の磯会長が有する飼養管理ノウハウを余すことなく承継することは、同社の長期的な経営基盤維持において必要不可欠だ。
事務作業に追われ、飼養管理ノウハウの承継が後回しに
後継ぎは、磯氏の孫娘で現代表取締役社長の平久江利実氏である。2010年に就農し、2022年に磯氏が一代で築いた肥育農家を継いだ。ただし承継への不安感はまだ残る。
「牛の飼養管理や水田の水管理は、会長が経験と勘を頼りに実施してきました。『見て覚えろ』と言いますが、私には多少わかっても、ほかの作業担当者はそうはいきません。明文化して言葉で伝えていく必要があります」
飼養管理の巧拙は業績に響く。ノウハウが磯氏に集中していると、同氏が一線を退いた後、売り上げや利益の減少を招きかねない。
ただ飼養管理ノウハウの承継や明文化は、重要度は高いが、緊急度はそこまで高くない。平久江氏は「『取り組まなければ』と思っていても、経理や出荷など事務作業に追われ、つい後回しにしていました」と反省する。
とはいえ、手をこまねいているばかりではない。2017年には農場HACCPの認証を取得し、2020年には更新審査を受けた。この認証は、作業マニュアルや記録類の整備で農場内の衛生管理を徹底し、畜産物の安全性を継続的に向上させる制度。イソシンファームにとっては、マニュアル作成に向けた初の取り組みでもある。
サポート役は、地元の栃木県開拓農業協同組合(開拓農協)だ。開拓農協とは一般に、戦後の緊急開拓事業に基づき入植した開拓農家で組織される畜産業の専門農協のこと。1970年代に開拓行政が一般農政に移行したことから、いまでは全国の農協の集合体であるJAグループの一員に名を連ねる。
農畜産部部長兼営農推進室室長の秋元一郎氏は「事業計画の立案から営農支援に至るまで、日常的な細々とした業務も含めて幅広く生産者の経営支援に取り組んでいます。加えて、イソシンファームに対しては、農林中央金庫からの同社向け転貸資金を原資とした事業資金融資も一気通貫で対応しています。ただその資金対応の裏側では農林中央金庫がきちんと経営状況と事業性を評価している訳ですから、同金庫と連携した形での総合支援です」とそれぞれの役割分担を説く。
農林中央金庫の「担い手コンサルティング」は、農業者に対するこうした経営支援をさらに強化するものだ。JAグループの総力を結集し、事業面の経営力強化に乗り出す。
品目別収支の分析で、アスパラガスの赤字が浮き彫りに
イソシンファームへのコンサルティング提供は、開拓農協とともに融資先を定期訪問していた中での会話がきっかけだ。農林中央金庫宇都宮支店食農ビジネス班融資主任の河原涼香氏は経緯をこう明かす。
「将来的な会長引退が控えるなか、事業承継の必要性は、平久江社長も頭では理解されていました。しかし、それをどう進めていいか分からず、具体化できていない、という悩みをお聞きしていました。そこで、『担い手コンサルティング』の枠組みを利用して具体化をサポートできないかという思いから、提案させていただいたものです」
イソシンファームにとってはまさに、渡りに船。農林中央金庫宇都宮支店では同社の承諾を得て、コンサルティングの第一段階である事業性評価に手を付ける。ここでは、財務分析による定量評価とヒアリングによる定性評価を組み合わせ、経営課題を見える化したうえで、それらに優先順位を付けていった。
財務分析では品目別収支の分析に着手した。生産品目は、肉牛とその肥育に必要な飼料用米や飼料用稲「WCS」、さらに春と秋のキャッシュフローの確保が可能なアスパラガス。アスパラガスは生産の過程で大量の堆肥を必要とするため、自社で生産する堆肥資源の有効活用を狙って約20年前に生産を始めたものだ。循環型農業を自社の圃場で推進するのに欠かせない品目である。
ところが、そのアスパラガスに課題が見つかった。「会社全体としては黒字経営ですが、品目別に労務費を案分すると、アスパラガスは労務費がかさむ分、赤字であることが判明しました。循環型農業の実現には不可欠の品目であることは理解しながらも、その作付割合を改めて精査する必要性を感じました」と農林中央金庫の河原氏は指摘する。
これら財務分析の結果にヒアリング結果を組み合わせ、農林中央金庫ではイソシンファームの「特徴・強み」と「弱み・課題」を、まず「経営管理・人事」「財務・資金調達」「生産」「流通・販売」という四つの大項目にわたって整理した。「弱み・課題」には複数項目にわたる磯会長への業務集中の実態が浮き彫りとなり、事業承継上の課題が顔を出す。
「担い手コンサルティング」の次の段階は、課題認識を踏まえたソリューション提案である。事業承継上の課題に対しては、「承継を見据えた会長業務の見える化」を提案。平久江氏とともに、会長が抱える業務の棚卸しを進めた。
引き継ぎ時間の確保に向け、事務作業の一部を委託
河原氏はここで、思いがけず苦労する。会長の言葉からだけでは具体的な作業イメージが湧いてこなかった。
「磯会長に普段の業務内容について伺うと、『田んぼの水回り』『牛の見回り』『餌の調整』といった一言で返ってくるのですが、その一言に集約された作業内容やポイントを深堀りしようとした結果、想定よりも多くの時間がかかりました。熟練者のノウハウを言語化することの難しさを痛感した瞬間として今でも印象に残っています」。
棚卸しした会長業務を社長が引き継ぐには、時間の確保が必要だ。ところが平久江氏は日常、社長業に加えて経理や出荷など事務作業にも追われる身。そこから解放されない限り、引き継ぎに必要な時間の余裕は生まれないのが実情だ。
そこで、農林中央金庫がソリューションとして提案したのは、事務作業の一部外部委託である。事務員の採用・育成を終えるまでの3年間をめどに、出荷事務を開拓農協に委託する提案を投げ掛けた。開拓農協はイソシンファームから肉牛の出荷を受け入れる立場。出荷事務なら引き受けやすい。秋元氏は「私たちは農業者のための組織です。イソシンファームの依頼には応じるのが役目です」と使命に忠実だ。
出荷事務から解放されたことで、平久江氏には会長が担う業務を引き継いでいくための時間の余裕が生まれた。一番の成果は、牛の健康管理に時間を割けるようになった点。「会長は牛を見てすぐに、健康状態が分かります。病気なら早く治療したほうが経営への影響は小さい。牛の健康管理は肉用牛肥育経営者にとって重要なスキルです」。
さらに牛の飼養管理・目利き力を会長の経験・勘に依拠する状態から脱却するべく、開拓農協による現場指導力も強化。開拓農協では、①体制整備②出向く活動③訪問記録・飼養状況管理④実績検討会の開催――という四つの取り組みを通じて、イソシンファームの飼養管理を支援することとした。
「出向く活動」とは、巡回による営農指導を指す。
現場指導力の強化に向け、全国組織の全国開拓農業協同組合連合会や飼料会社と連携し、飼養の現場を踏まえながら、イソシンファーム向け営農マニュアルを作成する。
栃木県開拓農協総務部調査役の細岡祐太氏は将来をこう描く。「現場指導力の強化は、私たち自身達成していくべき目標ともいえます。総務部としては、イソシンファームとのコミュニケーションを一段と深め、指導力の強化につなげていきたいですね」。
アスパラガスの単価向上へ、農林中央金庫の使命を果たしたい
財務分析で判明した作付割合の課題は、人的リソースをどの品目の生産に振り向けるか、という資源配分の見極めだ。農林中央金庫では、アスパラガスの作付割合をどの程度変更した場合に、どのような経営成績となるかを試算できるシミュレーションモデルを作成。イソシンファームにとって最適な作付計画を見極めるためのサポート材料を提供した。
ただ平久江氏は今後、アスパラガスの商品価値がもっと高まる可能性に期待を寄せる。「循環型農業による生産品であるという付加価値が評価されるようになれば、販売単価向上につながるはずです」そうなれば、アスパラガスの生産拡大による利益確保と循環型農業の推進が両立するというシナリオも、現実味を持つ。
農林中央金庫には、食農ビジネスを展開する企業とのネットワークもある。循環経済(サーキュラーエコノミー)が広がりを見せる中、循環型農業から生まれたアスパラガスを高く評価する企業との出会いも考えられる。「まさに食農ビジネス班としての使命です。そうした企業とのマッチングに努め、循環型農業が高く評価される流れを生み出したい」と河原氏は強調する。
円滑な事業承継の目標まで、残るは数年。まだ道半ばの段階だが、平久江氏は「担い手コンサルティング」の効果をどう見るか。
「改めて経営の全てを見てもらったことで、開拓農協にも農林中央金庫にも、今後の経営方針が相談しやすくなりました。また私自身も経営視点に立った質問を受けることで、これまでよりも一層、農業経営を改めて見つめ直す機会が増えました」
農林中央金庫を含むJAバンクによる「担い手コンサルティング」の実施件数は、展開し始めた2021年度から2024年度までの4年間で累計1000件を突破している。農業者の抱える経営課題は、それだけ幅広く、深刻だ。同様の課題を抱える農業者は日本全国に数多い。実施件数は2030年度までに累計3000件に達する、と見込む。
農林中央金庫を含むJAバンクは、「担い手コンサルティング」による経営課題の克服へ、今日もまた日本のどこかで奮闘する。
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