特集:飯舘村“までい”ブランド復活への連携支援

までいブランド「飯舘牛」復活への第一歩を刻む 飯舘村×JA×日本政策金融公庫×農林中央金庫 福島県飯舘村では、“までい”ブランド復活への取り組みが進んでいる。その第一歩となるのが、「飯舘牛」を含むブランド肉用牛の繁殖経営だ。避難指示解除後の地域を担う若き担い手たち、そして彼らを二人三脚で支える行政と金融機関チーム。経営再開までの道のりをレポートする。 ※「までい」とは、「丁寧に」「心をこめて」を意味する福島県北部の方言。 山田豊さん(左)と天野浩樹さん(右)は、飯舘村の農業再生に向けて互いに切磋琢磨している。

 かつては、「飯舘牛」を含むブランド肉用牛の肥育や仔牛の生産地として知られてきた福島県飯舘村。福島第一原子力発電所事故の影響による避難指示が、2017年3月31日に解除された後、村を挙げて、畜産・農産物などの飯舘村“までい”ブランド復活に取り組んでいる。そうしたなか2019年の春に、山田豊さん(37)と天野浩樹さん(32)が村に拠点を移して、肉用牛繁殖経営をスタートさせた。
 この経営再開には、若い二人の強い意志に加え、飯舘村、農林中央金庫(農林中金)、日本政策金融公庫(公庫)、ふくしま未来農業協同組合(JAふくしま未来)の連携支援が不可欠だった。

「農業も牛も諦めなくていいんだよ」
飯舘村での事業再開を決心するまで

 山田豊さんが、飯舘村で父親が営む牛の繁殖とタバコ栽培の複合経営に本格的に携わったのは大学卒業後のこと。28歳となった山田さんは、「自分の代では牛の繁殖をメインにしよう」と2011年2月にニュージーランドの農業研修に参加。帰国後に優良な母牛を購入したその直後、東日本大震災と原発事故が発生。飯舘村全域が計画的避難区域に指定された。「農業や畜産を再開できるとは全く思えなかった」山田さんは、「せめて牛に関係する仕事に」と京都の精肉店に就職した。父親として、夫として、家族の生活を支える――その思いだけだったという。
 そして、2016年。「両親のそばで暮らそう」と山田さんは妻子とともに福島市に戻る。この時も農業を再開できるとは考えていなかったが、飯舘村役場から「福島再生加速化交付金を使って、飯舘村の施設として牛舎を再建できる」という話を聞く。2017年3月末には、村の避難指示は解除となるものの、「本当に牛飼いをやっていけるのか?」――自問自答していた山田さんだったが、「最初は福島市からの通いでも」との言葉に飯舘村での畜産業再開を決断した。「牛舎が完成して繁殖を再開できたのは2019年4月。約3年かかりました。でも、一番大変だったのは飯舘村で事業再開を決めるまで。役場の皆さんに『農業も牛も諦めなくていいんだよ』と背中を押してもらったことで決断できた」と振り返る。

山田 豊さん

東日本大震災と原発事故を契機として「循環型農業」の実現に向けて一念発起

 一方の天野浩樹さん。埼玉県出身で本格的な農業経験はなかったが、福島県相馬市で肉用牛繁殖と稲作を営む祖父の手伝いとして、農業をスタートしたのは震災の少し前。もともと兼業農家でやっていこうと考えていたが、牛繁殖の経営を本気で志したきっかけは、相馬管内の品評会で祖父が育てた母牛がグランドチャンピオンを獲得したことだった。牛繁殖への関心の高まりに加えて、わらなどを牛の餌に、牛の堆肥を田畑に還元する「循環型農業」を実現すべく、牛を3頭から10頭に増やすことを決断。建設業者と牛舎の拡張を打ち合わせしていたさなか、東日本大震災と原発事故が発生した。
 相馬市は避難区域外だったため、2011年5月には稲作を再開。牛の繁殖も継続したが、仔牛1頭の販売価格は震災前の40万円から30万円に下落。先行きを憂う天野さんに、管内JAおよび畜産センターの担当者たちは「今が底です。JAの助成を使いながら頑張ってください」と勇気づけた。しかし、本格的な牛舎拡張には、街中である相馬市内では広い敷地が見つけにくい。そうしたなか、偶然にも飯舘村から相馬市に一時避難していた畜産家のつてで、飯舘村役場へとつながった。「セリ市などを通して、飯舘村は技術の高い繁殖農家が多いと聞いていた。放射線のモニタリングや対策もしっかりしていて、むしろ安心して農業できる」と考えた天野さん。飯舘村での農地の取得が確定した後、2019年10月に、妻子とともに飯舘村に移住。現在は、山田さんの牛舎敷地を借りて牛繁殖に従事している。

天野 浩樹さん
飯舘村の施設として、福島再生加速化交付金を活用して建設された牛舎。

“想い”をしっかりつなぐ行政から金融機関が受け取るバトンリレー

 「飯舘村役場で山田さんと天野さんにお会いしたのは2019年6月ごろでした。大規模な牛舎建設にあたり、福島再生加速化交付金で賄えない分の融資を、とのお話でした」と話すのは、農林中央金庫・福島支店営業第二班の渡邉職員。福島県出身の渡邉は、「農業融資で地元に貢献したい」と地方銀行から農林中金に転職。その2年目に飯舘村の肉用牛繁殖の担当に。二人と面談を繰り返すなか、公庫と連携しながら主に農業経営基盤強化資金(スーパーL資金)融資のため、資金返済期間15年の事業計画書の策定に取り掛かった。
 「苦労したのは、牛の動態表作り。牛の繁殖経営は、母牛の購入、出産のタイミングや仔牛の売却時期、(母牛は7~8回の経産で仔牛を生みにくくなるため)段階的に牛を入れ替えるといったサイクルがあります。これらの資金の流れを想定し、事業計画を“見える化”する作業です」と話す。「お二人にしてみれば、金融機関から融資を受けるハードルが高いと感じられたかもしれません。しかし、国の交付金等を含む投資額は相当大きな金額になります」。実は渡邉はリスクの高さとともに事業を止める選択肢を提示したこともある。「でも、お二人の決心は揺るがなかった。だからこそより綿密な事業計画を、と思いました」。
 山田さんは言う。「飯舘村で牛繁殖を再開したいという気持ちを役場の皆さんにくんでいただき、交付金の対象となった。でも『再開したい』という気持ちだけで、具体的な計画はないに等しかった。当初の牛舎の設計段階で『地盤強化のために概算で5,000万円以上かかる』と言われた時は正直『終わったな』と思いました。そうした折に、渡邉さんを紹介してもらい、頓挫せずに済みました。具体的な事業計画を作る過程で、逆に尻をたたかれましたね」。
 一方、天野さんは、従来から小口融資や営農を通じた技術指導などJAとのつながりも深い。交付金以外に、JAふくしま未来から土地取得のための資金を、設備資金としてスーパーL資金を活用した。「当初の自分は、借りる金額、事業を開始する時期、将来の頭数だけ考えればいい、ぐらいに思っていました。しかし、渡邉さんと面談を重ねるうちにそれだけでは駄目だと気付かされた。一緒に細かい事業計画を策定して、5~10年後の自分の姿がイメージできました」と語る。

農林中央金庫 福島支店 営業第二班 渡邉 大樹

強固な4者の連携のもと若い力を結集して地域の未来を創る

 今回のプロジェクトについて、飯舘村役場の藤井慎悟主査はこう話す。「初めに考えたのは、国の交付金を活用して村の設備として牛舎を建て、それによって畜産家に帰村・移住していただくこと。交付金の資料作りは、畜産業の勉強が大変で苦労しましたが、施設を整えて若い担い手にしっかりとつなげたいという思いでした。しかし、事業は施設だけでは運営できません。経営は担い手次第です。農林中金さんが、公庫さんとの調整役になりながら資金計画の策定支援をしたことで、計画が具現化しました」。一方、農林中金の渡邉は「大規模融資かつ国の交付金の条件などもあり、公庫-当金庫-JAの連携があってこそ、今回の資金計画が実現できました。今後は法人化等も見据えてフォローしていきたい」と展望する。
 2020年秋に新たな牛舎が完成予定で、本格的な牛繁殖経営がスタートする天野さん。「大変な道のりだと思うが、まずは経営基盤を確立し、飯舘村ブランド復活の仲間に入れてもらえればうれしい」。飯舘村を含めて3カ所で約70頭(2020年1月現在)を保有する山田さんは、「これまで何度も気持ちが折れそうになるたび、皆さんに支えてもらった。これからは自分たちが支える番です」と前を向いている。

行政担当者に聞く農業の再生畜産業を中核に、飯舘村の“農”を再生する

農地再生と、農家の帰還を促す畜産業の再開

 東日本大震災後の2011年12月には、復興計画の第1版として飯舘村“までい”ブランド復活を大命題として掲げ、村民への支援を行ってきました。
 飯舘村は、標高が高く夏でも涼しいという気候を生かし、トマトやブルーベリーといった農産物、リンドウ、トルコキキョウ、カスミソウなどの花卉かきの栽培も盛んで、高く評価していただいています。
 畜産業では、震災前の2010年には繁殖牛農家が約200戸、肥育農家が12戸。現在は、山田さんと天野さんを含めた繁殖牛農家8戸、繁殖・肥育一貫経営1戸、乳牛育成・繁殖経営1戸です。商標登録した和牛A4、A5ランクの「飯舘牛」は残念ながら休止状態ですが、震災前から村で繁殖した仔牛はパドック(家畜用の小さな放牧場・運動場)で運動させて大事に育て、四肢や骨格の良さが評価され、福島県内外の肥育牛産地に出荷されています。
 飯舘村の人口は2009年が6,189人、現在は約1,200人です。畜産業の再開は、飯舘村の広大な農地の利活用を進める取り組みであると同時に、農家さんの帰還を促すためにも重要です。山田さんや天野さんのように、飯舘村で農業を再開・開始したいという強い意志をお持ちの担い手を、村が支援していく――これが基本方針です。

“農”の再生に向けて、4つの農業スタイルを提案

 今後は、山田さんや天野さんたち畜産農家の皆さんに加えて、周辺地域に牧草を大規模に作付けするなどの、土地利用型大規模農業の展開を進めます。また、そのために農地中間管理事業などの仕組みを活用した有利な条件を提示することで、農家さんを地域に呼び込むことが私たちの役割です。
 飯舘村の“農”の再生に向けて、さまざまな“農”のスタイルを提案し、農業に関わる皆さんのニーズを掘り起こしています。具体的には、「飯舘村営農再開ビジョン」を策定し、[ステップ1]農地を守る(土地を耕す)、[ステップ2]生きがい農業(家庭菜園など)、[ステップ3]なりわい農業(営農再開)、[ステップ4]新たな農業(未来へつなげる新技術、高付加価値栽培)という4つのステップを提案しています。
 現在のところ、[ステップ2]生きがい農業の支援金を活用されている方が370軒程度、[ステップ3]なりわい農業を営む方が100軒程度です。山田さんや天野さんたちの繁殖牛は家畜市場に販売しているほか、農産物については、数量は少ないながら、個別の売り先には付加価値を評価していただき、リピート販売するほど好評を博しています。
 飯舘村は、江戸時代から幾度となく冷害等の災害に見舞われてきました。われわれも先人に倣い、地道な取り組みを継続し、村民の皆さんや、これから村民になる方々と手を携えて、必ずや村を復興させていきます。

飯舘村役場 復興対策課農政第一係
藤井 慎悟 主査(左)
齋藤 博史 主査(右)
(左から)村内の認証店で限定販売されていた「飯舘牛」は、震災前には県内各地から購入客が訪れるほどの人気を誇った。2017年8月にオープンした飯舘村復興のシンボルである道の駅「までい館」。

農林中央金庫とは

 当金庫は、農林水産業者の協同組織を基盤とする全国金融機関として、金融の円滑化を通じて農林水産業の発展に寄与し、もって国民経済の発展に資することを目的としています。
 この目的を果たすため、JA(農協)、JF(漁協)、JForest(森組)等からの出資およびJAバンク、JFマリンバンクの安定的な資金調達基盤を背景に、会員、農林水産業者、農林水産業に関連する企業等への貸出を行うとともに、国内外で多様な投融資を行い、資金の効率運用を図り、会員への安定的な収益還元に努めています。

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